限りある回

「初物は三年長生き、って言うからね」
母親はよくそう言っていました。
時には真剣な表情で、時にはにんまりと笑って。

 

一緒に買い物に行くと、
その時に必要な野菜やお肉や魚といったものとは別に、
決まって果物コーナーを見て、そのあと必ずお菓子コーナーも見ました。

 

母親は、世の母親の例に漏れず甘いもの好き。
春は柏餅だ、秋には柿だマロンケーキだ、と
その時々に新発売されるお菓子を買うことが好きなので、
娘のわたしもその恩恵に預かってきました。
「旬のもの」は母親のなかでとても大切なカテゴリーであるらしく、
ともすれば野菜も魚もそれが優先されました。
旬のものは、たいてい売り場の目立つところに置かれていて、
だから輝いて見えたものです。

 

大人になってから一人で買い物をするようになると、
自然と旬のものに目がいき、手に取るようになり、
「初物は三年長生き、って言うんだよ」
と、受け売りの言葉が口をついて出ました。
ふふふ、と一人で笑いがこみあげました。
確かに、旬のものはおいしいのです。
まず、色がいい。食べると、味がいい。
脂がノッているんですよね。
寿命に関しての真偽はわかりませんが、
イキのいい「旬」をいただいていると思うと、
体もなんだか元気になりそうな気がします。

 

旬だ、ということにかこつけて、
ちょっと高いものでも買ってみる。
そういう生活のなかの習慣や態度は、
わたしは母親から受け継いだのだなぁと思います。

 

自分で生活のための買い物をするようになると、
それこそ毎日野菜の値段が変わったり、
野菜の大きさが変わったりしていることにも気づき、
売り場を歩きながら、
先人たちはよくこれだけ「食べられる」ものを見つけたものだなぁ、
これを毒味して食べられるものに格上げしてくれた
昔の人は偉いなぁ、ありがたいなぁという気持ちになります。

 

シーズナルなものは、商戦として使われることが常なので
それにおどらされているように思われますが、
1年中好きなものを食べられる今の世の中、
実際に自分の口に入るもので
移り変わっていく季節を感じることはむしろ健康的だと思うのです。

 

春にたけのこ、夏にスイカ、秋にサンマ、冬にイチゴが食べたくなるように、
その季節になるとなんだか食べたくなるものは、
商業的な盛り上げの効果もあるかもしれませんが、
その季節こそ一番おいしく感じるものであり、理にかなっている。

 

「味気ない」という言葉がありますよね。
面白くて趣のある日本語だなと思います。
味には、それにまつわる思い出があり、一緒に血肉となる。
味気ない人、にだけはなりたくないなと思います。
味のある顔だね、という言葉も、
立派な褒め言葉として心に留めておきたい今日この頃です。

 

さて、小腹も空いたところですので、
コンビニで春限定スイーツを買ってくるとします。

 

そういえば、キングもゴールを決めていました。
キングに限界などない….