背中を見る回

ようやく、暖かくなってきました。
嬉しいですね。
春は、なんとなく不思議な力を感じます。
知らないだれかにそっと背中を押されるような。
あ、怖い話ではないですよ。
いままで眠りについていた生き物たちが目を覚まして、
世界が活気づくからでしょうか。

 

昔、母と旅行に行った時のことです。
日本で言う新幹線の「タリス(Thalys)」の一等車で、
ベルギーから、オランダへ向かいました。
母とわたし2人分の荷物がぎゅうぎゅうに詰まった重いスーツケースを
荷物棚に上げようとしたのですが、
引きずるならまだしも、女の手で上げられる重量ではなく途方にくれていました。
すると、オランダ人のまだ若い青年と母の目が合いました。
なんとなくの様子で困っていることが伝わったのか、
彼がひょいと、赤ん坊を宙に浮かせてあやすかのように
いとも簡単にスーツケースを棚に押し上げてくれました。
その手つきの鮮やかさから、
彼が力持ちであることはもとより、
見ず知らずの誰かを助けることが日常的なこととして伝わってきました。
年格好から判断するに20代そこそこのように見えましたが、
背の高いスレンダーな女性と一緒だったので恋人との旅なのでしょう。
お礼を言うと彼はどういたしまして、と言葉で返すかわりに
片手をサッとあげ、あとはペットボトルの水を飲んだり、恋人と話をしたりして、
こちらへ意識を向けてくることはありませんでした。
困っていたら助ける、お礼を言う、別れる。
その一連の流れは決められたルールのように滞りなく進み、
何事もなく終わっていきました。

 

もちろん、一等車が割高な座席であることを考えれば、
そういう意味では持ち前の品の良さにくわえて、
他人を助ける余裕がある人が乗車しているということかもしれません。
オランダ人とおぼしき青年は背がとても高く、
わたしはその身長に圧倒されました。
オランダ人は世界のなかでも平均身長の高さが図抜けています。
彼はおそらく典型的なオランダ人男性だったと思いますが、
重いスーツケースを軽々と持ち上げて
なんでもないというふうに自分の日常へ戻っていく
彼の広い背中は、どこまでも広がるオランダの肥沃な国土のようでした。

 

わたしは宝塚が好きなのですが、
ふだんは舞台上で観るだけの男役さんが地上に降り立つ瞬間があります。
「客席降り」と呼ばれる場面です。
宝塚ではお芝居とショー(レビュー)の二本立てを上演することが多いのですが、
ショーの一場面にその「客席降り」がある場合が多いです。
その名の通り「スターさんが客席に降りてくる」ことを指します。
もし通路側に座ったりすると、本当にすぐそばまで彼女たちが来てくれるんですね。

 

わたしは最近、全国ツアーという宝塚の巡業公演のようなものを観に行き、
運良く通路側に座っておりました。
すると、ある男役さんがタキシードで客席に降りてきて、
わたしのほんの30センチ先を歩いてきたのです。
今までも、通路側でスターさんを間近で見たことはあったと思うのですが、
その時は、まるで初めて客席降りを目の当たりにしたかのようにドキドキしました。
スターさんの「背中」に、わたしはひどく動揺しました。
動揺というか、息を止めて見ていました。
自分が座っている、スターさんは立っている(しかも背が高い)という
状況なので、自然と見上げるかっこうになります。
黒々としたタキシードを着込んだその背中は
まるで男性のような骨格に見え、一瞬ドキっとします。
でも同時に、確かにその人が女性の骨の細さを持っていることも、
わかるのです。

 

突然、その風格のある背中から、どうっと風が吹いてきました。
スターの風だ、とわたしは思いました(真面目に語っています)。
スタイルがいいだけ、姿勢がいいだけ、顔がいいだけ、有名人の娘であるだけ、
では、あのような風がそれも背中から吹いたりしません。
宝塚の男役というフィクションを何年も何年も研究し、
自分なりに磨いてきた酸いも甘いも噛み分けた背中だからこそ、
観ている人を闇に誘うような色気のある風を吹かすことができるのです。
「瀬戸かずや」という花組の男役です。
興味があれば、ぜひ調べてみてください。

 

先日、噂の『ララランド』を観ました。
ライアン・ゴズリングの背中、いやもはやボディ全体が驚くべきイケメンさでしたね。
あんなに色っぽく黒シャツを着こなせるのは、
宝塚の男役とライアン・ゴズリングだけでは…?と思わせられました。
とても楽しかったです。