習う回

春がやってきました。
今年も花粉症をまぬがれてよかったとホッとしています。

 

新入社員のみなさん、初めまして。
このコピペの存在を知っているのでしょうか。
読んだことがあるのでしょうか。

 

一人一人に聞いてみたいところですが、
こわいですね!やめておきます。

 

わたしは宝塚や歌舞伎やダンスやバレエを観るのが好きなのですが、
自分が演劇をやっていたとか、
バレエや体操などを習っていたというわけではありません。

 

「習い事」と呼べるものはスイミングだけでした。
それも姉が行っていたのでマネして
いわば惰性で行ってみただけでしたが、
その時のことは苦い記憶として憶えています。

 

スイミング教室では、
「バタ足=カメ」「平泳ぎ=カエル」「背泳ぎ=ラッコ」というふうに、
自分の習得すべき泳ぎのクラスがキャラクター化された
ワッペンを水泳帽に縫い付けるのですが、
トップクラスのワッペンは「バタフライ=イルカ」でした。
姉の水泳帽にさんぜんと輝いていた、
あの青いワッペンは忘れられません。

 

わたしはその青い輝きを縫いつける前の、
ラッコの赤いワッペンで止まってしまいました。

 

だだっ広い室内プールは天井が高く、
いつも肌が濡れていて、息苦しかったのを思い出します。

 

背泳ぎのとき水をかぶりながら見上げた灰色の天井。
空間が広く、声は反響して音が飛び散り、
言葉はバラバラになり、かき消され、雫となって落ちていきます。
天井までの距離が遠すぎて、泳ぎながら一瞬、
自分が何者であるか、何をしているのかがわからなくなり、
すべてが水に飲み込まれて、浮き上がれなくなってしまうような恐怖がありました。

 

そして、鼻で水を吸ってしまったときの痛さ。
子供の頃に経験する痛みはほとんど「死」を予感させるものです。
暴力的に喉に流れこんでくる大量のプールの水。

 

わたしは命からがらスイミング教室をやめたのです。

 

というのは大げさですが、
まぁ今思うとさほど楽しくなかったのだろうなと思います。

 

「習い事」というくらいですから、習いに行くわけですね。
それがまず性に合わなかったのかもしれません。

 

そのためだけに用意される荷物はいつも重く、
行きよりも帰りがもっと重くなります。

 

水に濡れた水着や水泳帽。
一度は忘れてしまうゴーグル。
いろんな子がいる脱衣所のよそよそしさ。

 

そのすべてが苦手でした。

 

母が迎えに来てくれるのですが、
わたしは母を見るといつもほっとして、安心しました。
水の圧力と陸にあがった重力とで疲弊した娘に、
母は、飲み物やアイスを買ってくれるのです。

 

強制されたわけではなかったように思います。
「あなたもやってみたら」と、それくらいの軽い言葉におされて始めたことでした。
姉がスイミングをやめ、わたしもだんだんと、
スイミングへ通うことが負担に思われてきたとき、
思いきって母にやめたいと申し出た気がします。
こういうときの常ですが、存外あっさりと承諾してもらえました。

 

なにかを壊してしまったとき、大目玉をくらうと覚悟して
いざ打ち明けてみたら「次は気をつけなさい」のひと言で済んだりとか。
そういうものなんですよね。

 

プールがある日はいつも眠りが深く、
まるで水の底へ落ちて行くように眠り込んでしまうのも、
なんだかだまされたような気持ちになったものです。

 

今でも、プールはあまり行きません。
実は、平泳ぎができないだけなんですけどね。

 

いつか、もっともっと年を取ったら、
プールにまた行き始めるのかもしれませんが。

そう、「習い事」の話でした。
会社というのはなにかを習いにくる場所ではありませんが、
新しい環境では、毎日何かしらを習うでしょう。

 

知らないことを知り、コツを教えてもらえれば、
ぶかっこうでもなんとか泳げるようになります。
泳げるようになれば、少しずつ楽しくなり、
楽しくなれば、上達が早くなります。

 

社会という大きなプールで自由に泳ぐためには、
まず、何でも習うことです。
若い人は吸収が早いですから、不安がらずいっぱい鼻から水を吸って、
痛みとともにどんどん成長してください。

 

わたしも、新しい季節、新しい出会い、
新しいできことから、たくさん習いたいと思っています。

 

鼻から水を吸うのだけは勘弁ですけど。