時間旅行の回

タイムトラベルに関する小説を読んでいて、
自分だったら過去にトラベルしたいかどうか?をぼんやり考えていました。

 

10㎏以上痩せていた入社当時に戻りたいとか、
視力が2.0あった小学生時代に戻りたいとか、
そうしたことをなんとなく思ったりはしましたが、
入社当時に戻れば、また1から人間関係を築いていかなければいけないし、
小学生時代に戻れば、あらゆる青春をまたやり直さなければいけない。

 

だから、今をこうして生きていることは、将来の自分から見れば、
とても今はそうできない、昔はよくやっていたなと感心してしまいそうな、
そんな過去を生き抜いている現在なのだろうと思います。

 

今は、どちらに進んでいるのか皆目わからず、
運命というものがあってその流れに身を任せているにしても、
今日どうすればいいのか、明日どうなっているのか、検討もつかない。

 

その小説の中で、タイムトラベルするのは、オックスフォード大学の史学生たち。
彼らは、第二次世界大戦の最中のロンドンへタイムトラベルし、
そこでさまざまな困難に見舞われます。
歴史をリアルタイムで体験する、そう書けば聞こえはいいですが、
“リアルタイムで体験する歴史”には想像を絶する出来事が待っているのです。

 

その中に、サーゴドフリーキングズマンというシェイクスピア劇の俳優が出てきます。
彼はもう壮年を優に超した年齢ですが、膨大なシェイクスピア劇の台詞を暗記しており、
ことあるごとに『マクベス』やら『ロミオとジュリエット』やら『テンペストやら『リア王』・・・
から台詞を引用し、会話の中に登場させるのです。

 

それがとても、とてつもなく、感動的でした。

 

ある決定的な場面で交わされる会話というのは、
すべてシェイクスピアの書いた台詞のなかに
既に書かれているのではないかと思うほどに。

 

ある時、わたしは父親にこう質問したことがあります。
どうして、アリストテレスやデカルトやフロイトやニーチェやハイデガーや
その他大勢の歴史に名を残した偉大な哲学者が既に存在して、
思想も考え方も出尽くしてしまっているように見えるのに、
哲学者という人がなおも存在し続け、哲学をやろうとするのか、と。

 

父は深く考えるそぶりもなく、こう言いました。

 

「大きな岩と岩の間には隙間ができる。それを埋めるためだろうな」

 

わたしはそれを聞いて、これからの哲学者は大きな岩の隙間を埋める
小さな石にしかなれないのだと思い、先人たちの大きすぎる功績に唖然としました。

 

きっと今、哲学を志したり、小説を書いたり、演劇をつくったり、映画を撮ったり、
あらゆる芸術を探究しようとする人たちは、常にそうした大きな岩の存在を感じながら、
穴を埋める、もしくは穴を穿ち、そこからがらがらとあらゆるものを刷新してしまうような
アヴァンギャルドな小石として必死に生きているに違いありません。

 

わたしは宇宙から見たその一瞬のなかでも、
爆発力のある一瞬を過ごせたらいいなと思うのでした。

 

気づけば、もう秋になってしまいました。
ホットカフェオレをちびちびしながら、小説をゆっくり読みたい季節です。

 

今回は、トレースをひかえました。
わたしの敬愛してやまない花組トップスターの蘭寿とむさんが、
来年の5月11日をもって宝塚を退団されることになったからです。

 

この年で青春を味わえるとは思っていなかったので、
蘭寿さんと出会えてわたしは幸せでした。

 

そうですね、もしタイムトラベルするなら、
蘭寿さんが最高倍率を首席で突破した1994年に行きたいです。

 

そして彼女の輝かしい笑顔を、
卒業されるその瞬間まで、ずっと見続けたい。

 

来年は、忙しくなりそうです。