昔を思い出す回

お寒うございます。

 

この間、母と話していて、
母の思い出話がとても興味深く、
わたしもいつかだれかにこうして話せるように、
日記をつけるべきかなぁなんて思っていました。

 

ふだん日記はつけないのですが、
今、日記をつけても多分宝塚のことしか書かないので、
日記をつける必要があるかどうか判断に迷うところです。

 

2月1日(土)宝塚を観た。すばらしかった。

 

2月2日(日)宝塚を観た。すばらしかった。感動!

 

2月8日(土)宝塚を観る予定。何も言えねえ。

 

・・・書く意味ありますかね?

 

母の話は、1964年の東京オリンピックのことでした。
母は、開会式のときに飛んで行った鳩のことを、今でも憶えているそうです。
窓から、飛んでいく白鳩を見たんだとか。

 

その時母は中学生で、
ドン・ショランダーというアメリカの水泳の選手が
クラスの女子の間で人気だったそうです。
みんなでショランダーに会いに行きましょう!ということになり、
手ぶらもなんだからと、お菓子を持参することに。

 

母も、そのお菓子を買うために父親にお小遣いを頼んだところ、
「何考えてるんだ!」と一蹴され、
そんなアメ公のところに行ってはならぬと止められてしまい、
結局ショランダーに会うことはできなかったそうです。

見果てぬ少女の夢、ショランダー。
父親に怒られる母、という図は、
脳の中でうまく焦点を結ぶことができないけれど、
「あまちゃん」の昔の春子の感じを思いおこし、
あんなふうだったのかなぁと思っています。
もっと、おとなしい感じだったと思いますが。

 

「今ほら、流行ってるじゃない?じぇいじぇいじぇい」という母の発言は、
しばらくわたしと姉の間での流行語大賞でした。
スローテンポすぎるわ、じぇいじぇいじぇい。
母親というのは、流行語に敏感なものなのでしょうか。

 

あと全然関係のない話ですが、母がAKBについて、

 

「少子化なんだから、あの子たちも一度に大人数で出ないで、1人ずつ出ればいいのにね」

 

とひとりごちていたので、秋元氏に進言したいです。
少子化とAKBをつなげて考えたことがなかったので、ハッとしました。

 

今のことを話題にして話すこともいいけれど、
昔の話は、映画を観たり、小説を読んだりするのと同じように、
その時代の空気を感じられます。

 

母が子供の頃は、銭湯に「三助さん」と呼ばれる、
背中を流す人がふつうにいたことや、
子供の頃の父には、お付きの「丁稚」がいたことや、
そんな当時の風俗を聞くことは、
母と父の知る日本の姿、懐かしい記憶の迷宮に誘われるようで、
その遠く離れた蜃気楼を眺めることは、とても愉快なことです。

 

母がわたしぐらいの年に「痩せていた」というのは、
毎度耳にタコができるほど聞かされる話ですが、
そのときの(陸上部だったので足も速く細かったという)母に、
あるいは(会社の宴会で丸メガネ+ちゃちな紙の帽子という扮装をさせられた)父に、
会ってみたいなぁと思う、そんな冬です。