強烈な回

ドナルド・トランプ大統領が存在する暗鬱な世界に、
今、わたしたちは生きています。
Love trumps hate.「愛は憎しみに勝つ」
愛と憎しみに挟まれ苦しむトランプのアメリカのことを、
わたしはとても他人事とは思えません。
敗れたヒラリー・クリントンの言葉はネットで読むことができます。
ぜひ読んでください。

よく「舞台」というものを観に行くのですが、
そこで、めまいのするような強烈な体験をしたことが何回かあります。
今日はそんな話です。

 

宝塚や歌舞伎、文楽といった
これまでこのブログで話をしてきたものを除くと、
その体験は3つほどあります。

 

まず、中国障害者芸術団の「千手観音」。
ふたつめに、松尾スズキを見た「裏切りの街」。
そして、最近行った「るたんフェスティバル」。

 

ひとつめで覚えているのが、
観に行ったその日は雨だったということと、
わたしは遅刻して行ったということです。

 

今はなき「新宿コマ劇場」に初めて足を踏み入れたのが、この時でした。
詳細はもうぼんやりとも思い出せません。
ただ、コマ劇場の内装の淀んだ空気や、
うす暗いロビーに毒々しく映えていたくすんだ赤色が、
大事なワンシーンのようにまぶたに浮かんできます。

 

とても後ろの席でした。
腰を下ろすと、舞台ではその時、
片腕のない男の子が見事な身体能力を発揮して、
全身を柔軟に使ってポーズをとって静止していました。
熱い拍手喝采がおくられています。

 

「…まだ見る?」
そう聞かれて、わたしはふと我に返り、もう出ようか、と答えました。
目的だったはずの千手観音が
もう終わってしまったのかどうなのかもわからないまま、
わたしは再び席を立ち、
熱狂と言っていい独特な雰囲気が渦まく会場の扉を開け、
ひんやりとしたロビーへ出ました。

 

コマ劇場には、30分もいなかったでしょう。
それでも疲労の重みを肩に感じ、
何かからピンとはじかれるような気持ちで肌寒い雨の新宿へ出ました。
劇場に充満する空気に、
なじむことができなかったのだと思います。

 

帰り道、新宿の町は無言で歩いていても、
勝手に話しかけてくるようでした。
でも、そのどこへも向かわない乾いた喧騒のほうが、
わたしにはむしろ心地よいものだったのを思い出します。

 

ふたつめの「裏切りの街」という舞台は、
松尾スズキが出演していました。
確か、この時に初めて松尾スズキという人が
実際に動いているのを観たのです。

 

PARCO劇場の、これもかなり後ろの席でした。
舞台上でガラガラガラとうがいをしていた松尾スズキが、
あまりに強烈なものを放っていて、
わたしは頭が混乱しました。
禍々しいもの、見てはいけないようなもの…。
現実におそろしい裂け目を作るような人でした。

 

みっつめは、ごく最近です。
会社からほど近いホールで、
シャンソンのコンサートがありました。
お誘いいただき行ったのですが、
これが実に興味深く、また忘れられない体験でした。

 

わたしのシャンソンに関する知識はゼロに等しく、
よく観る宝塚の舞台で使われている曲に耳なじみがある程度。
初めて聴く歌がほとんどでした。
第1部と第2部に分かれていて、
第1部のトリで歌ったのは、わたしの敬愛する安奈淳さん。
圧巻でした。
驚くべき表現の力。
もちろん、ほかの出演者の方も、
みなさん歌が上手いのです。
でも、上手い以上の「何か」が、安奈淳さんの小柄な身体から放たれている。
その劇的な求心力に、磁場が歪んでいくような何か。

 

それは、第2部でより顕著でした。
強烈な個性が、次々に登場します。
よく映画で、主人公が知らずに迷い込んでしまう
奇妙な地下やバーがありますよね。
時代も時間もそこにいる人々もどことなく不吉で、
日の光が届かない不思議な場所。
あの日のヤクルトホールは、
そんな異世界と地続きだった気がします。
自分もそこにのみこまれてしまったと錯覚するほどでした。

 

シャンソンの奥深さは、
歌う人の人生がそのまま出てしまうところなのだと思います。
やはり、第2部の人生経験値高めの方々は、
こちらから求めずともその人の人生がぐいぐいと押し寄せる。
人生は、チーズと一緒です。
熟成すればするほど、鼻がもげそうなくらい強烈な匂いを放つ。
日本語のシャンソンというのは、
演歌とも歌謡曲とも異なる独自の「クサみ」を持つ芸術なのだと、
ドレスアップし濃いめのお化粧を施した
淑女たちを見ながら感じ入りました。

 

自分が観たいものしか観ない、聴きたいものしか聴かない。
人生は短いのだから、仕方ないのかもしれません。

 

でも、誘われたら行ってみるものですよ。
美味しい熟成チーズと、
のどを唸らせるワインに出会える可能性もそこにあるのだから。