わたしだったら真ん中だ。(1/3)

なんの特徴もない真っ白なドアが5つあって、
真っ白なノブがついていて、
見た目はそう、どこでもドアみたいなドア。
あなたはどのドアでもいいとしたら
あなたはその5つのいったいどのドアを開けますか。

 

わたしだったら真ん中だ。
だって端のドアは、ちょっと怖そうだったから。
端から2番目のドアは、ちょっと冷ややかそうだったから。
本当は、違いはまったくなかったのだけれど、
人は、なぜそれを選んだかを
のちのち理由づけしてみたくなるものだ。

 

高校時代に教わった生物の森田先生は、
とてもとてもおもしろい人だった。
「カレーライスとラーメンで迷った時」の話。
カレーライスか、ラーメンか、ものすごく迷うとする。
迷って迷ってとてつもなく時間をかけて、決めた。
カレーライス。
でも、食べたときに「ラーメンにすればよかった」と思う。
森田先生いわく、
「どちらか迷った時、どちらを選んでも“これじゃなかった”と後悔する人と、どちらを選んでも自分が食べたかったのは“これだ”と思う人がいるんです」
自分がどちらのタイプなのかわかっていれば、
迷う必要はない、と。

 

たしかに。
わたしは、食事に関しては後者だが、今回は前者のようだ。
真ん中のドアを選んだことを、後悔しはじめている自分がいた。

 

でも、もう引き返せない。
なぜそう思うのかはわからないけれど、
強く引っ張られるようにしてドアの前まできてしまった。

 

ドアのノブに手をかける時、ピリッとした感触が手に伝わる。
静電気だったのか、気のせいなのかよくわからなかった。
緊張して手が湿っていたから、静電気のはずないか。

 

覚悟を決め、思い切ってからだ全体でドアを押しあける。

 

そこには
見たこともないような幻想的な景色は
別に広がっていなくて、
ただ、どこかで見たことのある男性が
ちょこんと椅子にすわっていた。

 

そこは空間があった。
その空間は正方形だと、わたしは思った。

 

こんな場所に閉じ込められて血しぶきが飛んだり
人がバラバラにされたり、時限爆弾が仕掛けられたりする
ホラー映画があったのを思い出して、
そして、わたしは思い出したことを後悔した。
ホラー映画なんて好きな人の気がしれない。
怖い話や映像を思い出すのはたいてい一人のときだ。
だれかがいれば笑ってすませられるけど、
記憶は時に自分を裏切って、
こんにちは~ヤクルトです~というくらい、
ある種の親しささえにじませながら明るく、
怖い映像やら怖い話を勝手に視覚化して
絶叫ものの映像にフィニッシュして目にガンガン映写してくる。

 

ホントやめてほしいよ脳。怖いんだって。
人間のほうがよっぽどおそろしいのさ。
よくしたり顔でそんなことを口にする人がいるけど、
わたしに言わせたら幽霊のほうが無理。

 

友人で、
幽霊がいるかもしれない、
いないでほしいと思うと怖いから、
むしろ、もうそこにいるもんだと思って
時候の挨拶とか交わしながら
生活しているという子がいた。

 

その手があったか・・・と思い、一時期
「幽霊もうそこにいる想定」で生活してみたが、
ずっと幽霊のことを意識しているせいで
余計怖くなったのでやめた。

 

だからわたしは、
そんな怖い記憶を頭から追い出すために、
目の前の空間を見つめることに集中した。

 

まず、椅子がある。
椅子は、その男性にとてもよく似合っていて、
似合っていてというのは、
ものすごくおさまりがいいという意味だけど、
だから「氏名:椅子男性」というべき雰囲気があり、
椅子とその男性とがもはや運命共同体であることを
わたしに強く印象付けた。

 

―やあ

 

わたしは自分が勝手につけた「椅子男性」という名前で
この人を呼ぶことに決めた。

 

椅子男性は、もじゃもじゃした頭をしていた。
そういえば会社に似たような髪型の人が・・・。
椅子男性は、細身で、白いシャツにブルージーンズという
いたってシンプルないでたちだった。
そういえば会社に似たような服装の人が・・・。

 

椅子男性は、椅子と同化している。
わたしのことを熱心に見ているようでもあり、
特に見ていないようでもあった。

 

―そう変な、おでんくんみたいな顔しないでください

 

おい。
初対面の人間に向かっておでんくんはないだろ。
つーか何でわたしがひそかにおでんくんって
呼ばれてること知ってるのさ。
フッ、でも情報のアップデートがなってないな。
最近は綾〇はるかで通ってますけど!?

 

―ぼくの本を読んでくれましたね

 

え?

 

―電車の中で、眠りながら読んでくれてますちょね

 

ちょね?
やばい。なんかおかしいこの人。
こんなおかしい人の本読んでたっけ。

 

・・・ああ!
わたしの脳内検索エンジンがたったひとつの
これです!という検索結果をヒットした。
ああ、大澤真幸だ。

 

―そうです。あなたが居眠りしながら読んでいるマサチです

 

だって超絶眠いんだこの人の本。
難しくて、何回も同じところを読んじゃって
それでも眠くてGood nightしちゃう。

 

―まだ3章あたりじゃないですか。がんばってくださいよ

 

ハイすみません・・・。
大澤真幸は社会学者だ。
でも、今目の前にいる椅子男性a.k.a大澤真幸は、
大澤真幸というより、
大澤真幸を忠実に模した別人のように見えた。

 

わたしは大澤真幸の著者近影しか見たことがなかった。
教科書に小さく載っているくらいのサイズしか。
静止画と動画はやっぱり違う。
奈良の大仏も、実物は写真で見るよりデカイもんね。

 

予想と微妙に違ったので、わたしはやっぱり、
この人を、椅子男性a.k.a大澤真幸と呼ぶことにした。

 

わたしはこの人の『恋愛の不可能性について』という
超絶眠くなる文庫本を読んでいた。

 

この世界において恋愛が不可能であることが、
この本に論理的に書かれている、はずだ。

 

でも、超絶眠いの。だからまだ3章なの。
数年前買ったっきり、ほったらかしにしておいたけど
その前に読んでいた本が
ある日こつ然と姿を消してしまったので、
重い腰をあげて読むことにしたのだ。

 

―遅いんですよ。本腰入れるのが

 

椅子男性a.k.a大澤真幸は、不機嫌そうな声で言った。

 

ハイその通りです・・・。
しかも本腰入れても寝ちゃう始末。

 

この人の本は、社会学と言われるおカタイ本の中でも
なかなか読みやすくて刺激的だと
大学時代なんとなく知っていた。知っていたけど、
読みたい本はわたしの前にそれこそ無数に存在して
大澤真幸はだんだんわたしの眼前から遠ざかっていった。

 

待って!大澤真幸!わたしがんばるから!
心の声もむなしく、大澤真幸は
『タイタニック』のラストシーンのディカプリオみたいに、
積み重なる本の底へと沈んでいって見えなくなった。

 

ああ・・・もう二度と会えないのね・・・。
わたしあなたなしでも生きていくわ!
と、わたしの中の消しゴムによって晴れやかに忘れ去っていたけど、
ある日ベッドの脇の本棚を漁っていたらあっけなく再会。

 

この年で一冊も大澤真幸を読んでないなんて
マジどうかしてるぅ~という声がどこからか聞こえた気がしたので、
幻聴!?と思いながらも、寝る前に少しだけ読んだ。
すぐ寝た。

 

それが、大澤真幸との数少ない思い出だった。
いまや大澤真幸は、椅子男性a.k.a大澤真幸となって
わたしの目の前にあらわれた。

 

わたしは、緊張していた。
手に汗がにじむ。

 

つづく