「制服は洗濯できない。」

◯◯の回というタイトルに飽きてきたので、
タイトルに規則性を設けずフリーダムにすることにしました。
どうです、アイドルグループのNEWシングルの曲名にピッタリじゃないですか。
秋元康さん、いかがでしょうか。
今でこそ洗濯機や乾燥機は高性能なので
家でも制服を洗濯することもできるかもしれませんし
あるいはファブリーズで除菌することもできるそんな時代ですが、
わたしが制服を着ていた頃家にあったのは、
まだまだ昭和の香り漂うあせた色の乾燥機でした。
ゆえに制服はクリーニングに出すしかなかったのですね。

 

みなさんは、『あぶない刑事』(1986年)というテレビドラマをご存知でしょうか。
わたしは子どもの頃、再放送かなにかを見ていました。
刑事というあぶない職業の人たちが着る服を、
柴田恭兵と舘ひろしによって「スーツ」と認識していましたが、
織田裕二によってそれが 「カーキ色のトレンチコート」へ変わった瞬間がありました。
『踊る大捜査線』(1997年)ですね。
刑事が着る服はなんでもいいんだな、というのが印象に残りました。
街にいる制服姿の警察官よりなんだか自由で、
ゆえに「テレビドラマ的展開」がありそうな私服の彼ら。
『沙粧妙子 最後の事件』(1995年)では服装よりなにより、
薬の副作用で意識が酩酊する浅野温子のうめき声のほうが印象的でした。
この意識酩酊系シリアス刑事ドラマは
後の『ケイゾク』(1999年)等に引き継がれていくのだと思いますが、
もはや刑事はどんな格好でも刑事、というよりむしろ、
“外側”の刑事らしさや硬派さ(あるいは異端としての軟派さ)はなりをひそめ、
刑事の入り組んだ人間関係や人生体験そのものに
ショッキングで刺激の強い事件性が含まれているドラマが流行りました。
今また刑事=「スーツ」に戻ったのはおそらく
『相棒』(2000年。2002年から連続ドラマ化)の水谷豊のせいでしょう。

 

成長に従って刑事ものドラマにだんだん飽きていたわたしの前に、
『きらきらひかる』(1998年)というドラマが突如現れました。
遺体を検案し、その死因の真相を究明する女性監察医の物語です。
このドラマがとても好きでした。
主なキャストである深津絵里、鈴木京香、小林聡美、松雪泰子の四人は、
ふだんは監察医として白衣を着ていました。
(あ、松雪泰子だけは刑事なのでスーツでしたが。)
これがものすごく新鮮だったんですね。いわゆる“スタイリッシュ”だったのです。
刑事ものの変化形とも言える本作では、
物語の中心にいて事件を解決するのは常に女性でした。
ドラマの最後に必ずレストランで食事をとるシーンがあり、
わたしは羨望をもってこのシーンを見ていました。
オトナになったら仕事終わりに気の置けない友人たちと
おしゃれなレストランで仕事の話をしながらディナーをする、
そんなおしゃれな未来がどこかに待っているのだと。
その時、自分はキャラクター的には深津絵里なのだろうか、
それとも小林聡美なのだろうかと、考えなくてもいいことを考えていました。
大学生になり某書店でアルバイトをしていた時、
古くて狭くて暗いロッカーで私服から規定の白シャツに着替えていましたが、
バイトの後おしゃれなレストランでディナーすることは一回もありませんでした。

 

スティーブン・スピルバーグは、毎日同じ色のシャツを着ていたそうです。
スピルバーグ監督がそうするなら
服を選ぶ労力や時間をほかのクリエイティブに変えたいからとかなんとか、
生産的な意図もありそうだなと思えますが、常人にはとても真似できそうにないです。

 

わたし自身は、スーツや白衣といった制服を着る職業には就かなかったわけですが、
母親は仕事用の揃いのスーツを何着も持っていたので、
その柔らかな肩パッドの入ったスーツを着て「ON」スイッチを入れる姿が
子ども心にまぶしく、かっこよかった記憶があります。
となると、わたしは常にスイッチ「OFF」だと思われる気もしますが、
いやいや、人は見かけによらずとはこのこと。
今日もそこらへんにあったTシャツを着ていても、
瞬時に「ON/OFF」を切り替えているのです。
なんせ、制服と違ってTシャツは洗濯できます。
暑いですからね。世界陸上もアツいです。