「アラナイ」の回

すっかり秋になりましたね。
デスクでバナップルを食べて季節感を無視しています。

 

最近映画を観ました。
アメリカ×おばあちゃんの話です。

 

ストーリーは、シカゴのある街に住む90歳近くのおばあちゃん二人組が、
経済に感心を持ち、そのことについて調べ、学んでいくうちに
ついには世界経済の中心地であるウォール街まで行ってしまうドキュメンタリーです。

 

おばあちゃんは「アラナイ」(アラウンドナインティ)にして
初めて自分たちの身の回りの生活を顧みて、
現状の不況の原因は何なのかを考え始めます。
「アラナイ」は映画のチラシにあった言葉ですが、
アラフィフまではギリギリわかるとしても、「アラナイ」は一瞬戸惑いました。
100歳近くになった場合は「アラハン」ですね。モンハンみたいです。

 

アラナイのおばあちゃんたちはやがて「成長は必要か?」と疑問に感じはじめます。
この疑問を解決するために、ワシントン大学へ経済学を聴講に行き、
あるいは、自分たちと同じくらいの年齢の経済学者に話を聞きに出かけます。
そして、ウォール街の資本家たちが集まるパーティーに出席。
二人の言動はウォール街の住人たちに様々な反応を引き起こしました。

 

映画を観ていて、わたしも自身のことを思い浮かべました。
経済について何も知らないなと。
経済学の授業を取らないで有名な文学部だったせいかもしれません。
言い訳ですねすみません。

 

日本でも消費税が5%だったのに8%になり、
5%だった頃のことをすでに忘れようとしている現在。
幼い頃は5%ではなく3%でした。
5%に上がったときのことはもううすぼんやりとも思い出せません。
3%より計算が楽かな〜とは思ったような気もします。
10%への引き上げも間近に迫っています。
富める者しか富むことのできない世界で、
富を持たざる者はいかに立ち向かうべきなのか。

 

映画に出てくるおばあちゃんたちは、もうすぐ90歳になろうとしている。
二人が経済に関する本をめくり、経済学者たちに会って話を聞く姿を見て、
わたしは焦りに似た気持ちを抱きました。
おばあちゃんたちがこんなに勉強しているのに、
わたしは…?と。

 

経済学に限らず学問というのは、大海に等しいもの。
海へ続く砂粒の数さえ膨大で、まして海そのものの広さや深さは無限大です。
人間が学べる知識のあまりの多さに「無理!」と大の字になって寝転びたいそれが青春。
でもその中できちんと学び、修めることができれば、
新しい仕組みや制度が宇宙人よろしく飛来してきたときに、
その知識によって理解ができます。
ラグビーのルールを知っているほうが、
ラグビーを何倍も楽しめるのと同じです。

 

先日、ラグビー日本代表が南アフリカに勝った
歴史的試合の録画映像を見ていて、
テレビ画面にルール説明が出るのが地味に面白く、
それ以上に役立つなぁと思いました。

 

選挙速報の番組で立候補者のニッチな情報を載せて
画面下に流していた某局のように、
国会中継でもスヤスヤ寝ている議員などのプチ情報が出れば
視聴者サイドでも野次れて面白いですよねきっと。
いつか国会中継を某局にしてもらいたいです。

 

生身の人間と関わるときに、
この人って中身が薄っぺらい…と思って
がっかりすることがあるかもしれませんが、
人間が系統立てた学問につまらないものはありません。
驚くべきことです。すべてが面白いです。

 

人間に飽きたら、勉強すれば世界は楽しくなります。
その分野のルールや歴史を学び、現在の状況を知っていけば、
五郎丸がキックのときになぜいつも同じルーティンを行うのか、
それによって男からも女からもモテそうな五郎丸は何を得られているのか、
そういったことも見えてきます。多分。

「知識は荷物になりません。」という言葉が好きです。
おばあちゃんに負けないように、わたしも経済学の薄い本から始めたいと思います!

 

経済学の薄い本って…意味深ですね!(完)