「これ、どこのお土産?」

「赤福」「とおりもん」「ままどおる」「もみじまんじゅう」

 

これはほんの一部ですが、
土地の銘菓をお土産にもらうとテンションが上がりますよね。
銘菓のあるなしで「地元のブランド力」も変わってきます。

 

話題の桐生選手はどんなお土産を買ってくるのでしょうか。
もちろん日本人初の9秒台が最大にして最高のお土産ですが、
個人的にはダジャレのTシャツを買うようなタイプだと、
人として完璧じゃないところが逆に好感度が上がっていい気がします。

母は、小さいわたしをよく旅行に連れて行ってくれる人で、
旅先でお土産屋さんをのぞくのも好きな人でした。

 

小学生の頃、男の子になりたかった(!)わたしは、
お城のある観光地へ行くと「十手」や「小刀」をお土産にしたがりました。
母からよしなさいと言われても聞かず駄々をこね続け、
とうとう手に入れた「十手」と「小刀」を肌身離さず持っていました。
「小刀」は金属製の鞘で重さもわりとあり、
中の刃はもちろんレプリカでしたがギラギラと光っていました。
武士が刀を構える姿がかっこいいと思っていて、よく真似していたのです。
「十手」を好になったのは、
水戸黄門や大岡越前が好きだったおじいちゃんと一緒に
夕方のテレビ放映をよく見ていたからだと思います。
「ズシュ」「ビシュ」などの奇声を発する娘に、
母は一抹の不安を覚えたに違いありません。

 

あとよく、ちょうちんを買っていました。
「姫路城」とか「仙台」とかの観光名所や地名のちょうちん。
あれは、家の梁に取り付けられるようになっていて、
色もなかなかカラフルで目に楽しいのです。
ただ思い出としては少々自己主張が強く、
部屋で存在感を発揮してしまうため
ほどなく取り外され、捨てられてしまいました。

 

大人になってから
スノードームをお土産にするカルチャーがあることを知りました。
「ザ・ダサいお土産」という認識しかなかったスノードーム。
なんとなく中身のクオリティも甘くて
ぼんやりしたおばさんのようなお土産だなと思っていたスノードーム。
そんなスノードームが、一部のおしゃれ人にとっては
インテリア雑貨的な価値を持っていることに驚いたものです。

 

センスのないお土産をくれる人はセンスがないが、
センスがある人がくれるセンスのあるお土産のおしゃれさはたまに鼻につく。

 

長文失礼しました。
センスってなんだよって話ですよね。
横文字使いやがってこんちくしょおプッと放屁したいくらいです。
うそです。

 

スノードームをくれる人が
見た目から文句なくおしゃれで雑貨屋さんめぐりは特に趣味じゃないけど
インスタやってますインスタ映え〜みたいな人(どんな人)だったら
きっとどんなものも素敵なお土産に見えるのでしょう。
でも、なんの変哲もない風体の人からもらう
なんのひねりもない「草加せんべい」だっておいしいですよ!?
(おっと埼玉disはそこまでだ)

 

父は、都市名の入ったTシャツが好きなので
ニューヨーク旅行の時に「買ってきてくれ」と頼まれたのです。
そうだお土産を買わねば!と焦って思い出したのはなんと帰国日の前夜。
冷たい雨の降る夜でした。
タイムズスクエアにひしめきあう多くのスーベニアショップは、
カタコトの日本語で話しかけてくる怪しげな人が多く、
わたしは「ディズカウントプリーズ」と繰り返しましたが
ノーノーイッツオーレディディスカウントの一点張りに根負けし値切れず言い値で購入。
New Yorkという文字とマンハッタンの街並みと自由の女神像
がプリントされた、実にちゃちな素材の長袖Tシャツ…。
ヨレヨレのタグにはcotton100と印字されていましたが
手触りはさほど良いとは思えませんでした。
そして帰国後。
Tシャツを無造作に着た父から真面目な顔で一言「Gut(良い)」と言われ、
そういえば父は変なものを面白がる人だった、とホッとしました。
そして、わたしは大事なことを思い出しました。
お土産は、喜んでくれたり面白がってくれる人によって、
その価値も変わるのだということを。
お土産そのものが持つ「みやげ価値」と、
もらった人が面白がることで付加される「おまけ価値」の2つによって
お土産の総価値は決まるのです。

 

そう言えば今時期にピッタリなはずの長袖Tシャツですが、
実際着てくれているのを見たことがないので
今度父を問いつめたいと思います。